SIerにSlackがやってきた
ついに、弊社でもSlack Enterpriseが導入されました。
コミュニケーションツールは元々自社製のものがあるのですが、突如Slack推しに。
Github Enterpriseも導入されていますが、ほとんどの社員が存在すら知らないうちで活用されるのか?!
利用率(体感
技術好きな奴ら
元からSlackユーザなので歓喜。 勝手にボットとか作って遊び場になってる。中堅ベテラン勢 /remindとか使って積極的に使いこなそうとしている。 発言も積極的に行っている感じ。
もっと上 やっぱり使わない。 このあたりにえらい人は、多いので、どう巻き込んで行くか。
Slackで何が変わったか
まだ、変わらない。気軽に情報共有するぜって雰囲気はできてなくて、みんなどう出るか手探り状態。 Githubは開発者が主に使うから、知らなーいって人もいますが、Slackのチャットだけなら誰でも使えるようなUIなのでとりあえず使ってみようって人は多い。 もう少し小慣れてくれば、Slackを通して何か新しいことができるのかなぁと。
あと、えらい人もSlackから何か産まれました!って言われたら興味は引けるので、Slack上の活動が活発になってからなのでしょうね。
React Native勉強会
今日の勉強会 react-native-meetup.connpass.com
なお、私はReactほとんど書いていないです。Vue面白いよ。Vue。 とは言いつつReactもキャッチアップしないとなと思っているのでやってきました。 Swift、kotolinも書いてるのでネイティブマンなのですが、jsで書けるならそれでいいなとも思ってます。
React Nativeでお絵かきしてみた。
jQueryよりReactを早く触ったと話に時代を感じる。 肝心のアニメーションはjQuerっぽくないですかね?
React NativeのUTについて
テストを書かないと、T-wadaさんが現れるのでちゃんと書こう(いましめ
触ってないけど、ユニットはいいけどandroidもiOSも結合するのはキツそうだなという感じはある。
Reactはじめました
はじめてないので、こういう知見は嬉しい。 React初学者がつまるところを2つ挙げていて
- 古い情報
React Fiberも発表されてたし、タイムリー。 - jsxの嫌悪感
jsxの嫌悪感はやっぱりあったり。 vuejsやっている人からjsxが嫌でvueやってるって人を知っているけど、 jsx悪くないねって着地点だったので食わず嫌いはやめて始めようかしら。
native-baseでUIデザインの共有
androidもiOsも共通で使えるUI部品まであるのね。
React Nativeのbootstrapみたいなものって話なので、
デザインはこれありきになるんですかね?
ただ、無理にnativeに寄せるとこまい部分が調整し難いって話のようなので、必要なら使うくらいになるのかな?
ReactNative for Web Engineers
あーやっぱりあるんだなぁ。 でも、CSSはほとんどそれっぽく効くんですね。
- モックアップには向くが、カスタマイズが増えると結局overwriteする箇所が多くなるため辛くなってくる
- パフォーマンスに問題があったらネイティブも叩ける
webエンジニアがどわっと動くものを作って、カスタマイズする必要が出てきたら、 ネイティブ開発者に渡していくって流れになるのかな。
ReactNativeでyoutubeを埋め込もうとしたらandroidで1日潰した話
- (iOSは)もうこれ(ReactNative)でいい気がする
みんなandroidで苦労しているらしいですね。
genymotionだとGoogle Playを入れたりしないとまともに動かないってところだったので、
ReactNativeの話ではないのかな。
androidの開発から入っているからそんなもんだと思ってたけど、iOSから入ると辛いでしょうね。。。
Reactで社内ツールをつくってみた
- 技術検証で社内ツールを作ってみるのはよい
これは同意。新しいものは基本入れづらいし、頭の硬い人がいるのでなかなか使えない。
特にうちのようなSI屋。
なので、どうにかして使わせてみて、いいじゃんと思わせないと普及しない。
私も勝手にelectronで既存のWebシステムをラッピングしたものを配布してます。 営業とかコンサルさんに使ってもらうと使ってみようか?って声がかかったりする。
リアクト歴3ヶ月の人がnpmモジュールを上げる話
- React Native発展途上 コントリビュートするならいま!
OSS感でていてとてもよい。新しい物好きとしては飛び込みたい。
結局ReactNativeってどうよ?
極論、React+ReactNative+Node+WebAssenblyがあればほぼほぼなんでもできるってのは面白いかもしれない。
もし、これをプロダクトとして導入するとなると、安定性とか、更新頻度とか、
いまのネイティブのエンジニアどうするとか、問題はいっぱいある気がする。
でも、こういう技術的なスキルを一本化できるようなものはSI向けだと思っているので、今後に期待。
サポーターズ:エンジニアのためのブログ講座に行ってきた
ツイッターに移行してとても長いですが、戻ってきました。
最近IT系の勉強会によく顔を出していて、今回行ったのがサポーターズさんが主催する
【学生&若手エンジニア向け勉強会】エンジニアのためのブログ講座 - connpass
これは、書くしかないと。
それが一番のお礼かなと思い古いアカウントを引っ張りだしています。
さて本題です。
今回の勉強会ですが、大きく分けて以下のトピックがありました。
- これから書く人に
- かけない人に
- 書いてる人に
資料は
[アンコール] エンジニアのためのブログ講座で講師をさせていただきました! #blog_engineer | Developers.IO
にレポート付き(はっやーい)でまとまっているの個人的な感想だけ。
これから書く人に
なぜブログを書くことがいいかというお話。
「とりあえずは、質より量」というのには納得です。
技術系の話はわりと車輪の再開発でも過程があればよいという傾向もあるし、
まあ、書いとけという、一般的なアウトプットの大切さの話だなと解釈してます。
質問にもあったけど、書いちゃいけないことどうしてるかという部分は
うちみたいなSIだと、とてもセンシティブなので、私の場合はどうやってネタにしていくかがポイントになるはず。
かけない人に
めんどい、まさかり怖い、自信ないというメンタルどうするかという話。
ブログという体がめんどいってTwitterに移ったので、とても痛いところ。
まさかりについては、前にいったUnder30*1の基調講演でまさかりを恐れるなという話もあったけど、
捨てても良いまさかりと、捨ててあっても拾わないといけないまさかりがあるわなと思う次第。
ちょうど、別のまさかりの話で対象的だった。
書いてる人に
書いてた人なのでほぼ当てはまらないですが、
テンプレートがあると、勉強会にいって終わる頃にはすでにレポートが書き上がるという話があり、
これは私でもいけるんじゃないかなと。
質より、とりあえず早さはやりやすくはあるし、ほうぼうの勉強会に出てたりするので積極的にやっていきたい。
ということで簡単に感想をまとめてみる。
ぼちぼち書いていこうと、思ってます。はい。
Qメモ カシウス・ロンギヌス ネタバレしかないよ
昨日8人ほどでエヴァを観てきました。
その後、大考察タイムが始まったのでそのメモとして面白いところ書いておきます。
まだ終わってないのに邪推だろとか思うかもしれないですが、こういうのが楽しいものですからね。
正しい正しくない問わずつれづれにいきます。
・ロンギヌスとカシウス
まず最初に登場するのは月からMk6が覚醒した初号機に刺したもの。これは造形からカシウスじゃないかと思います。これは後に初号機を回収したヴィレに渡っていると思われます。
そして空白14年でMk6自立型がリリスに接触しようとしフォースインパクトが起こる際、それを防ぐためカヲルを含む幾人かが、リリスにロンギヌスをMk6にカシウスを刺したはずの二本がある。もしかしたら、こっちが初号機のカシウスかもしれません。
で、カヲル君がカシウスが無いことに気付かないことを考えると、ゲンドウがカシウスをロンギヌスに差し替えた。また、カシウスがロンギヌスに変性したことになると思います。
話合ではロンギヌスとカシウスの性質を仮定することで後者に落ち着きました。
その仮定は「エヴァシーリズと使徒のATフィールドには差異がある」ということです。具体的にいうとエヴァシーリズのATフィールドにはカシウスが対応していて使徒のATフィールドにはロンギヌスが対応しているということ。今はエヴァと使徒としてますが、中にはリリスとアダムにという意見もありましたが、当たり障りのないほうに。
これは初号機に刺さっていたのはカシウスであること。リリスだったものとMk6に刺さっていたのがカシウスとロンギヌスであったはずというところから来ています。
これを仮定すると、Mk6が第十二使徒に変性したことによってカシウスがロンギヌスに変わった。よってゲンドウに予測はできたが、カヲル君には予測できなかったと説明できます。
疑問点としては槍が刺さった段階で外部から使徒が入ってこれるのかとか旧劇だとロンギヌスでリリスが止まってたとかいろいろありますが、なかなか面白い解釈だと思います。
カシウスとロンギヌスは対立するものなのではないかというところからATフィールドを壊すものと産むものという話にもなりましたが、腑に落ちないですよね。
とりあえずは、こんなもので、また追記するかして書き足します。
アダムスの器について、あと主観的感想については書くと思います。
追記
14年間のMk6の流れを考えると。
初号機の覚醒を阻止する段階ではカヲル君が搭乗している。
そこから、恐らくゼーレによってMk6が無人機にされリリスとの接触を測る。
Mk6がカヲル達に槍を刺され機能を停止する。その間に使徒に変わったとしてました。
これだとエヴァシーリズとリリスでフォースインパクトって起こるのだろうかという疑問が出てきます。そうでないとすると無人機にされた段階で、それは使徒だったことになります。Mk6の建造方が異なるのはわかっているので十分にありえそうです。
ただゲンドウ以外の人間が12使徒について知らないようなのが難しいところ。
そうそう、ゼーレとゲンドウとヴィレの三つ巴の話と考えていて、多分そうだと思うのですが、実は14年の間にゼーレは本懐を遂げている可能性ってないですかね。
冬月がユニットを抜くときの「我々の目的は達成された」は今からゲンドウが達成するからではなくもう終わっているではないかなと。あとはゲンドウ好きにしていいよ的な。
かなり適当ですけど。
ジャーンの書
屍者の帝国のレジュメに書いた偏見に満ちた感想だけを先駆けて載っけてみる。
私がXに何かを当てはめろと言われると、それは「物語」となるのではないかと思っている。理解されるには物語の形を取ると言っているので、「言葉」の焼き直しと言われるかもしれない。
ただ、「物語」としてのはいくつか理由がある。
その前に円城は計劃が書いたであろう物語をかけたと思うかという点について話していく。個人的にはそれはNOで、伊藤計劃として計劃のように書いてはいるが彼が投げかけた問題への答は全てうやむやにされていると感じたから。人間の意識に対して語られたのは、単一の支配についてのみでそれすらもうやむやになっている。
ここで円城が何を書いたのかと考えたところ、それは「物語」の読み方ではないかというところに行き着いた。この作品で出てくる物語である「ジャーンの書」は穴が不規則に空いた書物である。ただし、この本からはありとあらゆる情報が読み取れる。これは2部でワトソンが言っていたとおりのこと。加えて、大民族言語の不在は「物語」を唯一のものに解釈する言語は存在しない。つまり、言語につき解釈は存在しうるということを示すように取れる。結末もこれに準ずる終わり方とも言える。
これらのことから、円城は計劃の「物語」を「ジャーンの書」として書いているのではないかというのが私の見解となっている。なので私のXは「物語」である。計劃はその派閥のひとつで私の頭の中で拡大と縮小を繰り返している。
ひとつ腑に落ちないところはある。「ジャーンの書」は計算能力の高い人間にしか本質は読めないというところ。結局、本質は一部にしか理解できないとするのか、多様性を認めるのか。その部分がもやにかかったようで今も気持ち悪い。
おおかみこどもの雨と雪と御禿様
おおかみこどもの雨と雪の感想が少しまとまってきたので書いてしまおうかと思います。
ネタバレというネタバレはしないつもりです。
そういや細田監督の映画はデジモンをリアルタイムで観たのがはじめでしたね。
あのことはボクのテントモンが!とか言ってた気がします。
サマーウォーズも見てますよ。SFというかネットワークをファンタジー風に書いたものだという認識です。リアルでもバーチャルでの人と人の関係をクローズアップした作品で、誰が見ても楽しめるような映画でした。
そして、今回のおおかみこどもの雨と雪です。
私は面白く観ました。書いて欲しいと思ったところは書いてあるし目に見えた破綻もないですしね。年甲斐なく涙浮かべたくらいです。
なにより、高木正勝の音楽がファンにはたまらない。最近の少し土俗的なところが自然描写とよくマッチしている。彼の映像は抽象的なところがあるので、こういったアニメでの直接的な表現も新鮮でした。
しかし、ですね。ネットの感想を見てみると、もちろんいいことばっかり書いているわけではない。どことなく気持ち悪さがあるという意見がところどころ見られました。何故だろうかと考えた結果をひとつの意見として書いていこうと思います。
まず、この映画の狙っている客層は全年齢向けだと考えます。これは向こうがそう思って創ってるというのもあるし、見る側もサマーウォーズなんかのイメージで観に行っていることでしょう。
全年齢というのは子供から大人まで面白いと感じるものがあったり、子供と大人で違った見方ができるという点があります。そこで、この映画が本当に全年齢向けであるかどうかを考えた時、少し違うのではないかと感じます。
確かに、子供にとっては動物と人間、自然の描写、青年にとっては親への憧れ、動物と人間の間で生きるおおかみこども、大人には懐かしみ、愛情なんてところで要素があるんです。ただ、その要素がちぐはぐでバラバラに盛り込まれているのではないか。その違和感が気持ち悪さとして出てきているのではないか、というのが私の意見です。日常描写の中に突如として人間の汚さがどっと流れてくることが劇中多々あります。いままで、ほのぼのと進んできていきなりそんなところを見せられると肝を冷やします。我々だとそれはリアルな描写であるとして片付けることができるのですが、子供たちにもみえるような所に持ってくるというのが気持ち悪さではないでしょうか。
私はそっちのほうが好みなんですがね。
ああ、あとですね。富野監督が絶賛してましたよね。
http://mantan-web.jp/2012/07/20/20120720dog00m200050000c.html
もうべた褒めですよ。これは、この気持ち悪さを富野監督が評価しているんじゃないかと思いました。
http://wired.jp/2012/07/21/interview-hosoda-mamoru/
こっちは細田監督本人のインタビューですが。ここで、「アニメ業界が長年頼ってきたアニメの記号性を、いったん捨てる。」と言っていて、この目論見が上手く富野の心を射止めたと。積極的に意味付けをしないという手法に戻るというのが、さんざんいろいろやってきた富野には新しく見えたのではないでしょうか。
最初富野監督がそろそろ新作撮りたくてスポンサーとりにきたんじゃないかと思ったのは内緒。