アニメにおける陰茎不在論

この前の飲み会でこんな話になったんですよ。昨今の流行りとして、男性が全く出ないアニメがよく流行る。それってどういうこと?って話です。

私の意見としては、男性の妄想の産物であるということ。昔はヒロインがいてヒーローがいて、その二人がなんだかんだあってくっ付くという話が主流でした。その何だかんだってのをどう書くかを面白いとしてみていたのが、キャラクターを全面に押し出すあまりにそこが薄くなっている。ヒロインはどこにもいかないし、いつでも理想どおりの振る舞いをする。そこに需要が生まれているのではないかと思っています。で、それを先導できるリーダビリティを求められていると。

あるとき吾妻ひでおが某四コマアニメをみて「このアニメ作ってる人も見てる人々も不気味。そんなに現実イヤなのか?」と発言したことがあります。
正確には「空虚だ。ギャグもナンセンスもユーモアもエログロもストーリーらしきものも何もない。ちょっとしたフェティシズムがあるだけ。このアニメ作ってる人も見てる人々も不気味。そんなに現実イヤなのか? この気持ち悪さはメイドカフェにも通じるものがあるな。原作を読んでみたらまァまァのほほえましいほのぼの4コマ漫画だ。原作生かせよ!」とのこと。
当時は炎上とかしましたが今は割と冷静な人もいるようです。この発言の意図は作品の中身の無さと女性だけで繰り広げられる痛みも悲しみもない世界の意味。娯楽としては否定はしないのでしょうが、あくまで現実逃避に走るこの作品ってそこまでありがたがるものなのかと。
今と昔の差がよく出ていていると思いませんか?象徴するものだと思っています。そうそう、吾妻ひでおの昔を考えてお前が言うかって話があるけどお門違いなので止めましょう。彼は現実に向き合った人です。

まあ、私の考えには欠点があって女性ファンを説明できないのですよね。実際に意見を聞いたこともないですからわからないというのが実情なのです。興味はありますがね。一つ考えたのは観る側の性別ってのは意味を成さなくなっているということ。好み傾向が男性女性問わず統一されつつあるのではないか。結局、萌えというものは可愛いとか綺麗とか女性的なものなのでシンボルとして女性をだしていると。スポコンが男性だけで成立するのと同じですね。それを仮定するとすっきりするのですが、ちと強引ですかね。