ぼちぼちと

仙台駅付近は大分落ち着いてきました。やれることはやっていますので、ぼちぼち平常運転に入ろうかと思います。

クォンタム・ファミリーズ

クォンタム・ファミリーズ

クォンタム・ファミリーズです。三島由紀夫賞受賞作。このSF読みたい!でも堂々のランクインした作品です。作者の東浩紀ポストモダンとオタクが複雑に混ざり合った思考の持ち主ですが、評論家としての彼には通じていないのであくまで小説家として評価します。

そうして見ると確かによく出来ています。設定も興味深いし、文章も上手い。なによりミスリードが巧みで想像していた展開の斜め上に行く事の運びをするので読んでいて面白い。三島由紀夫賞は伊達じゃないといったところでしょう。

さて、作品名にあるクォンタムとあるようにSF的な骨子は量子論になります。ここが一番上手いところでして、この作品でいうならば別に量子でなくていいのですよね。普通に平行世界に移れる装置に置き換えることが可能なのです。そして人格交代などは設定として装置に含めばよかった。しかし、そうはしなかった。何故かというと、やはり説得力が増すからです。何かわからない装置よりも、こじつけでも量子を媒体をしたほうが現実味がある。この点が一番の成功点だと思っています。
加えて、作品の構成といった観点で上手く出来ているのが、一見複雑そうに見えて実はそうでもない世界観ではないでしょうか。最近はややこしくしようとして作者以外には理解できない、かつ理解させようとする記述をあえて省くといった傾向があります。この作品は逆に複雑そうに見えて実はシンプルな世界観で出来ているというのが、上手く出来ているかと思います。ちゃんと考察をすれば、どうなっているのかがわかる。この塩梅ってのが難しいところですが、上手く出来てるのですよね。

もっと突っ込んだ話をしてみましょうか。東浩紀は先のとおり小説家以前に評論家ですので、この作品にも何かしらのメッセージがこもっているはず。クォンタム・ファミリーズというくらいですから、一番には家族というところが挙がるはずです。しかし、この作品の家族ってのは希望がない。それはもう悉く。父である往人は最後の最後である種の境地に達します。与えられた環境でもって満足し家族を愛すことが出来れば満足ではないか。確かにそのとうりかもしれないと家族団欒で終わればいい話になったはずですが、そうはならなかった。結局はその家族に殺されてしまった。
単純に見れば現代の家族という単位の崩壊。はたまた人を愛するというのが至上ではないということを示唆しているようです。少し深く読めば、罪を背負いし人は人を愛する資格はないと読めます。こんな感じでどう考えても希望的観測できない話になっています。そこが私として不満なところで、この作品をお話としては面白いと評価する所以になっています。

総じて、人におすすめしてもいいものだとは思っています。その際には評論家東浩紀ではなく新人小説家東浩紀として読んでもらうのがいいのではないかというのが私の意見。少なくとも退屈はしない作品です。