悲しい夢を

ええ、使ってなかった頭が最近常時動いて軽い燥と欝を行ったり来たりしています。

さて、これで最後かなと。

人間失格の実写映画です。恐らく一番に有名どころ。ジャニーズの生田斗真が主演ということもあいまり話題になったかと思います。

最初は、ジャニーズかぁ。なんて思ってましたが、生田斗真は全然悪くないです。気合入れたんだなと素直に感心しています。やっぱり太宰治はイケメンでないと。特に後半、ヤク中になった葉蔵を演じ方はステレオタイプではあったものの見入ってしまうぐらいでした。他も色々と有名所揃えていて演技自体はいいのではないかと思います。これは演出家の方針でしょうが、モノを食べるシーンが印象的。くちゃくちゃ、ずるずる、ぼきぼきと人間の汚さ全開な音を強調するので、見てる方は嫌気が差します。これは意図なので褒め言葉です。

そう演技はいいって言いましたが、森田剛。お前はだめだ。これは脚本も悪かったのもあるけど、あまりにもひどい。頼むから棒読みはやめてくれ。詩人がこんな無感情でどうするよ。生田斗真が頑張っている分余計引き立つ。役としては、ゆやーんゆよーんでお馴染み中原中也。なぜか出てきて葉蔵を振り回す役になります。いきなり絡んできて「戦争の色は何色だ!」とか言われてもね。一応、葉蔵が芸術を志す切っ掛けにはなるのですが、ここもまた疑問があって史実通りに中也は死んでしまいます。葉蔵がお墓参りへ以前一緒に行った洞窟時のこと。天井から線香花火の玉が大量におちてくる。この玉は以前来たとき中也が口の中に入れ食べた物である。その玉が大量におちてくる。それを葉蔵も食べようとする。これは中也の命の儚さの象徴と輝きであることは分かるのだけど。結局葉蔵は玉を食べるシーンまで書かれていないのだよね。これっていいの?中也から芸術性を受け継げてないって話にならない?
そして、そもそもなぜ中原中也人間失格にいるのか。これはもう葉蔵=太宰治をしてしまっているからですよね。それは間違いではないのかもしれない。しかし、これでは太宰治のエンターテイナーとしての側面がなくなってしまうのではないか。結末を考えると狙っているのかもしれないが頂けない。

中原中也の話をしたからついでにオリジナル要素である鉄の話。これは精神病院から帰ってきた後の原作には書かれない物語。この鉄は実家の津軽で女中として葉蔵を二人で暮らす女性。最初は女中として役割をこなすだけであったけど、葉蔵の優しさに触れ次第に母性を持つようになる。こっちの要素は割と面白くて原作には余り触れられないマザーコンプレックスを映像にしている。物語として見ても最後に行き着く女性は母親なのだといっているようで筋も通っている。その後くるバーでのシーン。年老いた葉蔵が若返るところを考えても希望的であり納得はできる。ただ、これは太宰治ファンに向けたメーッセージじゃないよなぁと。ダメとは言えないけど余り好ましくはない。やっぱり私は客観的な許しが欲しいのね。

で、ここまで来たけれど葉蔵の話を余りしていなかったりする。それは、余り深く描写はしていないから。私のようなファンは何回も読みなおして自分なりの葉蔵を持っているから問題ないのだけど他の人から見たら葉蔵はどんな人間かはわかりにくいかもしれない。その点では原作既読済みのファン向けなんだけど、メッセージ的には違うというちぐはぐさ。劇場で見た帰り「斗真くんかっこよかったねー。でもさっぱり意味わかんなかった」とか言っていた女性三人組にいらっと来たけれど、いま考えて見ればしかたないかった。反省。

さっと纏めると良くも悪くも話題性はあったかなと。すげぇ面白いものじゃないけど太宰ファンの自己満足を埋めるのには十分です。

これで太宰治記念作品でカヴァーした分は全部書きました。安心して観れるのはヴィヨンの妻パンドラの匣人間失格古屋兎丸版といったところでしょうか。最後に太宰治は悲劇の主人公であって、エンターテイナーでもあります。そこあるのはただ真黒な風景でなくパンドラの匣よろしく希望もある。そこが面白いところなのです。