受け入れるざる受け入れるべき異形

さてさて、また人間失格に戻って来ます。そもそも、ここをやりたかったからね。

[rakuten:amiami:10118783:detail]

人間失格アニメ版です。青い文学シリーズというところで作られたもののうちの一つ。他には夏目漱石のこころ、芥川龍之介の蜘蛛の糸などなど一度は聞いたことのある日本文学をアニメ化しています。デスノート小畑健が作画することで話題になりましたね。

これは、アニメだからとなめてはいけませんよ。適度にアレンジを加えつつ、新しい観点を取り入れている作品です。人間失格をつくろうという意欲を感じます。

さて、掘り下げていきましょう。全4話で構成されるアニメです。1・2話では鎌倉での心中そして葉蔵の過去編。3・4話ではシズ子との同棲からヨシ子との生活の崩壊が書かれています。
この前篇では進行する順序は逆になっているものの、大まかな流れは大体同じ。ただ違う点は、ツネ子との心中の際、一緒に海に入るのではなく崖の上でツネ子を突き落としているということ。これが後々の複線となっているの当然として、葉蔵の罪の意識。これを強烈に印象づけることに成功している。そしてお化けの絵、彼自身である肖像画がキャンバスから抜け出て延々と付きまとってくるという描写はアニメだからこその表現であるのではないでしょうか。

後編はオリジナルな要素を取り込みつつ、見事に人間失格を書いている傑作です。原作と違うことが大きく2点あります。それは、作り手のメッセージであって現代に送るエールであると考えます。その一つ、第3話の題名となる世間という言葉。これは原作では明言されていないものではないでしょうか。暗喩的に示唆されているものを言葉として打ち出したっというのが一つ偉いことです。加えて、織り交ぜ方も不自然ではない。

漫画化となった葉蔵が世間に受ける漫画書くというエピソード。これは自身を道化、世間の見世物として提供するということになるでしょう。その時、世間というものがなんだかわからなくなってしまう。まるで別の意志をもった一つの生き物のように。しかし、世間というのは個人の集合であるという考え方をヨシ子から提供される。そして、このヨシ子は一般世間とは違って要素を許容してくれるという個人であるという。

ここから葉蔵はヨシ子と結婚。そして自身のやりたいことで生計を立てていこうとする。そこに忍び寄る悲劇。これはヨシ子の強姦事件でもあるのだが、もう一つの戦争の影。確かに、太宰治はその時代を生きている。舞台の背景では当然戦争がちらつてもよさそうなものだが、原作ではそんな描写はない。この戦争を物語に組み込んだのがこの作品で最大限に賞賛されるべきである点。

戦争は起こっているものの其の影は葉蔵を捉えない。しかし、身近まで迫っていた。悪友の堀木が戦争へ赴くという。このとき葉蔵は必死で引き止める。この時の堀木の言葉が印象的なのだ。葉蔵が「お前は芸術家だ。なぜ戦争などに行くのか」という。この時の返し、「世界が壊れかかっている。芸術家だからより一層感じるのだ。」「人間の一線はなんだ。人の物を奪っていまで生きるべきか。葉蔵は女を殺した。ただ意志を尊重しただけでましである。今からそんなあまちゃんは生きていけない。犬畜生の時代がくる。俺は今から世界中の人間殺してくる」。この台詞によっていままで悪友だった堀木が一転して新しい役割を持つ。ただ単に反戦争であると言う以上にある種の葉蔵への許しであると考ることが出来る。それは時代を背景としてただの逃避だと言われてたそれまでなのだが、許しであることには違いない。

私は人間失格を人を信じ切れなかった結果に起こった悲劇だと考えています。もし、葉蔵がツネ子を信じて心中できていたら、シズ子を信じてヒモを呼ばれようが家族を得られていたら、ヨシ子を信じてもとの生活に戻れたら。それに加えてこの友人の信じて、許しを得られていたら。これはifの話ですが、伝えたいメッセージは確かにここにあるのではないか。これがアニメ版と原作との違いでしょう。

一つ残念なことも。最後は原作通り薬に手を出してしまいますが、自分自身を受け入れることを決めるというシーンがあります。これはこの時代、自分自身を素直に表現しては生きていけなかったといことではないか。堀木の言う通りあまちゃんだったと取れてしまう。原作を再現としては確かにいい落とし所なのですがね。現代に生まれてこれた幸せとは取れ難いシーン。私が壮大な勘違いをしているか、作者の不得かのどちらかですかね。まあ私としてはママの台詞を音として聞けたので大満足です。

アニメとしての出来も十分です。声優も有名所を使っていますし、小畑健の絵も悪くない。音楽は生音を効かせた重厚感のある出来。アニメ好きでも満足できるでしょう。

うーん。細かく書いていこうと思えばもった書けそうな気がする。ただとりとめがないのでここいらにしておこう。誰か見た人ととくとくと語りたい。

「あの子は天使のようにいい子でした」