やっとるか。やっとるぞ。がんばれよ。ようしきた。

さあ。ゲームの話題ばかりだったけどちゃんと書くよ。逆にゲームの話題が著しく減ると思うので期待してる人はごめんね。

1945年日本は戦争に負けた。片田舎で暮らす染谷将太扮する青年は自身が結核であることを隠し無理に体を酷使し死を望んでいた。しかし、戦争に負けた今。新しい時代の訪れを感じる。新しい時代の男にならければ。青年は結核を申告し、山の中のサナトリウムに入りひばりとしての生活が始まった。そこには、若さに象徴される可愛さをもつマー坊、さっぱりと竹を割ったような竹さんいた。

こちらパンドラの匣の映画です。恐らく、人に勧めるならこの作品でしょう。原作の再現率も映像としても十分なでき。健康道場という特異なサナトリウムの雰囲気がよくだしている。そしてなによりも竹さんがむちゃくちゃ可愛いいということ。原作未読の人でも竹さんがかわええなぁってだけで最後まで観れるはず。竹さんと主人公のひばりの2ショットのシーンではスタッフもかなり力を入れているのがわかるくらい。全編通して可愛いのだけど、特に後半のウィッグを外すシーンが格別で顔が映らないのだけど可愛いという概念の上澄みをすくったようなもの。このシーンだけでもお腹いっぱい。ぎこちない関西弁も心地いい。え?マー坊?まじ涙目。

と竹さんの可愛さを語ったら尽きはしないのだけど、真面目に書こうね。この新しい男の物語。実際には新しい男になりそこねた男の物語だったりする。ひばりの言い分には新しい男には新しい女ということである。そこで、マー坊と竹さんという対照的な二人の女性の間を行き来するという、恋愛ものにもみえる内容。すこし違うのは新しい男とは?また新しい女とは?というテーマ。結論からいってしまうと新しい男とはひばりの友人のようなつくしのような男で、となりに寄り添うのは竹さんのような自律的な女性になる。
最初はマー坊という時代の流行に敏感でキャピキャピとして女性が新しい男にふさわしいと考えていた。逆に竹さんは古臭いただのデカイ女としか見なかった。そこに別の視点としてつくしという先に退院した友人のものが入ってくる。マー坊はただ騒がしい子供で、竹さんは仕事のできるべっぴんさんであると。そして、紆余曲折。結局、最後にはマー坊を選ぶことになる。それでよかったねと思いきや。実はつくしは着々を竹さんとの縁談をすすめていて、半ば強引に婚約してしまう。
そう新しい男ってつくしのような虎視眈々としたたかな男のことではないかと疑問が挙がる。またつくしは結核を直し死の象徴であるサナトリウムの外へ出ていっているという点も見逃せない。反対にひばりとマー坊はサナトリウムに残っている。これって、ひばりは古い男で未来もないと取ることは出来ないか。唯一救いはその選択をしたひばりが楽しそうに生きているということ。これは新しい未来を掴むために非情になるべきなのか、現在に満足し精神的に余裕ある生活を送るかという選択になる。それを選びとるのはまだ尚早で私は若さにかまけていこうと思う。

映画としてはとてもよく出来ている。古い女新しい女の描写に突出しているけど、細かくやっている。単に竹さんかわいいもいいんだけどね。あと地味にふかわとかミッキーカーチスとか出てて誰得な部分も。でもすごいおすすめ。DVDも凄いほしいけど散財気味なので自重してます。